野中広務氏が死去されたようです。

92歳で亡くなられるまでに本当に色々と政治家として日本に貢献してくれました。

そこで今回は、子育てパパが野中さんから学べることはないかと考えた結果、

野中さんがどういう政治をしたかよりも、なぜ政治家を目指したかにフォーカスを当てて弔いたいと思います。

野中氏とは?

生年月日 1925年10月20日
出生地 日本の旗 日本 京都府南丹市(旧・園部町
没年月日 2018年1月26日(92歳没)
死没地 日本の旗 日本
出身校 京都府立園部中学校
(現・京都府立園部高等学校
前職 衆議院議員秘書
京都府副知事
現職 社会福祉法人京都太陽の園理事長
京都府土地改良事業団体連合会会長
平安女学院大学客員教授
立命館大学客員教授
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
親族 弟・野中一二三
公式サイト 社会福祉法人京都太陽の園

ウィキペでイアによると、京都府出身の政治家としてご活躍されていました。

 

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熱き少年だった。

Wikipediaでとても印象的な場所を見つけました。

高知市第155師団歩兵第452連隊(通称号:護土22756部隊)に所属していたときに終戦を迎え、坂本龍馬像の前で自決を考えたが、上官の将校に「死ぬ勇気があれば、これから日本の国を建て直す勇気に変えろ」と諭された[16]

凄くないですか。これ、まだ子供のときですよ。

当時の日本では、負ければ自決という考え方もあり、死は美徳とされていました。

今の日本では考えられません。

でも、この時代には確かにそのような価値観が存在していてのです。

そして、日本を変えろといわれて、そこから今日お亡くなりになられるまでにずっと政治可を貫いてきました。

この一貫性の大事さは充分お手本になります。

死ぬ覚悟をしてから、死ぬまでずっと政治家です。

僕には死ぬ覚悟もなく、政治家になる能力もありません。でもこの人は強い志を持って日本を変えようとしてくれたのです。

坂本龍馬の像の前で自決というところも本気度が伺えます。本当に死ぬ気であるなら、もうそのとき死んだ気持ちで、新しい人生を歩め!上官にメッセージが野中氏に届き、日本を変えるために力を尽くしてくれました。

結果云々はおいといて(もちろん功績は数えきれないほどあると思います)、その気持ちがすごいなと思います。

今の日本では死ぬ覚悟なんてそうそできないとおもいます。だからこそ、死ぬ覚悟があればなんてもできる。

そう野中氏から教訓として受取り、子供にも伝えて行きたいと思います。

本当に92年間お疲れ様でした。

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